きりまんじゃーろでうありむ。

2018年1月〜2020年1月、青年海外協力隊でタンザニアへ。キリマンジャロ山の麓街であるモシ市で、小学校の先生として派遣されます。

ちんちょんちゃんのその後のこと

先日「ちんちょんちゃん」に対する僕の見解についてブログを書きました。
今回の記事はその後のことなので、一読することをお勧めいたします。

一年ごしのチンチョンチャン - きりまんじゃーろでうありむ。


さて、実はここタンザニアでは転校が意外にも多いのです。
休暇後には必ず出て行く子がいる。

同時に新しい児童が入ってきます。
引っ越しをしていなくても転校する場合があるようです。


今回の長期休暇においても例に漏れることなく、
新しい生徒が転校してきました。

ただ、正直なことを言うと担当外の2年生なので

正直転校生かどうかなどわかりませんでした。


そんな彼が、

「ちなあああああ!!ちんちょんちゃあああん」

と、やはり言ってきた。
明らかに面白がっていたし、

僕が見ると血相を変えて即座に逃げ出した。
正直悩みました。

まだ2年生だし言って伝わることだろうか。
転校生ということでまだアジア人の僕に慣れていない故の行動ではないか。
まだ様子を見て行く必要があるのではないか。
僕が帰国するまでの半年間で彼も変わる可能性

理解してくれる可能性だって十分にある。

 

 


いや、だからこそ今教えてあげないといけない。
今ここでぼくが食い止めなければいけない。
彼が気付くまでの半年間で、

何人のアジア人がからかいの対象になるのか。
ここキリマンジャロは今月から観光シーズン、観光客がどっと増える。
アジア人と遭遇する可能性も当然増える。
この行動によって我々アジア人どのような心境になるのか
このまだ幼きうちに伝えた方がベターだ。
よし!!!今言おう!!!


そう心の中で葛藤している時だった。


昨年僕が担当した子たち数名がたまたまそこにいた。


「おい!!それ差別だぞ!!やめろ!!!」
「先生は怒らない。でも悪いことなんだぞ!!!」


正直、めちゃくちゃ嬉しかった。伝わってたんだ、、、と。
でも、同時に怖かった。

この「悪いこと」を力と恐怖で制するんじゃないかと。
体罰に走るんじゃないかと、、、。

子どもの間でも力や恐怖による抑止があるのは許せない。


(自習の時間、上級生が見回りに来る。彼らは体罰用の棒を持つ。その棒が抑止力になる。そんな習慣がここタンザニアにはある。)


でも彼らはそんなことはしなかった。

ちゃんと言葉で説明してくれた。
「ちんちょんちゃん」
は挨拶ではないということ。
嫌な思いをする人がいるということ。
アジアにも沢山の国があるということ。
黒人に対して「ブラック」っていうのと同様であること。
無視する人もいれば、逆に怒る人もいるということ。
この一言でタンザニアタンザニア人のことを
嫌いになる人だって当然いるということ。
こんなことをするのは、ダサいということを。
「知らない」なんて関係ないということを。

 

アジア人のぼくが彼に伝えるよりも、

同じタンザニア人同じ学校に通う友達の方が

多分心に響く。2年生は素直に頷き理解し、

その表情は後悔の念を写しだしてた。


すごく嬉しかった。本当に嬉しかった。
アジア人の自分がここに来た価値が出たんじゃないかと思った。
このムーブメントが大きな波を起こしてくれるんじゃないかと、期待した。
拙いスワヒリ語でもちゃんと通じてたことが、
例えこどもでも自分の見方がいるということが、
自分が教えたことを真似るだけではなく、

広めようとしてくれたことが。


でも、一番面白かったことは
そんな「ちんちょんちゃん」と言ってしまった彼が、
「先生、差別って何??」って聞いてきたこと。
今までの主導権は教え子にあった。

全てを説明してくれた。
説明者に質問するのが通常の流れに思える。
それでも、ぼくに聞いこと。
これはつまり、アジア人である前に彼らの前では「先生」だということ。


残り半年。何を伝えることができるだろうか。
この1年半で何を伝えることができたのだろうか。
もう一度襟を正し初心に帰って、活動していこう。
アジア人として。日本人として。彼らの教師として。