きりまんじゃーろでうありむ。

2018年1月〜2020年1月、青年海外協力隊でタンザニアへ。キリマンジャロ山の麓街であるモシ市で、小学校の先生として派遣されます。

一年ごしのチンチョンチャン

おそらくJOCV あるあるの一つ「チンチョンチャン」
アジア人である我々が、
日本人である我々が、
ツーリストでない我々が、
現地語がわかる我々が
できること、すべきことはなんだろうか、、、??
という趣旨のことを述べるつもりはさらさらありません。
今回は僕が「ちんちょんちゃん」と言われて何をしたのか、
についてのみ述べます。
 
僕の配属先は観光地のモシ市にある、小学校です。
前任がいたこともあり、彼のことを知っている児童や同僚は僕のことを
「CHINA」と基本的には呼びません。低学年層や転校生等は稀に「CHINA」と呼ぶ。
 
(スワヒリ語で人を表す言葉の多くは接頭辞にmやwaがつきます。したがって中国人は「MCHINA/WACHNA」が正解。そう呼ばないこともまた差別なのかな?)
 
しかし、僕は全く腹が立ちません。例え道端で言われても然りです。
だってしょうがないもんね。僕たちアジア人は似ています。
「あれ?日本の方、、、かな?それとも、中国?いや、、韓国の方?」
なんて思うこと、我々でも何度も経験すると思います。
しょうがないことです。
 
つい先日「チンチョンチャン」と言われた。
それも、学校で。それも1年間担当した生徒に突然。
正直すごくショックでした。その周りの多くの子も笑っていた。
正直面白いことではないと思う。

ある生徒が言いました「亮太は日本人だから、そうじゃないよ!!!!」

ん?そこじゃない。別に俺が中国人でも日本人でも韓国人でも関係ない。
僕がショックだったのは、僕の生徒が「チンチョンチャン」と言ったことです。
僕に対して言ったことではなく、
その言葉を発したことがショックだったのです。
「僕の同僚、僕の児童は違う」
と心のどこかで思っていました。
僕は彼らに何も教えてませんから、当たり前のことです。単なるエゴですね。
 
そしてまた数日後。また言われました。日本語を教えていた場面で。
今度は同僚に。それもKOICA(韓国版協力隊と考えてください)のボランティアと仕事をしたことのある同僚。
 
このままでは、彼らがアジア人と関わった意味がないではないか。
そう思って僕は行動に移しました。
 
したことは簡単です。
日本に関する簡単なプレゼンをしました。
その中で、アジア人に対する差別用語について触れただけ。
と、同時に黒人に対する差別用語についても触れました。
 
同僚の多くは「知らなかったんだ。」「日中韓の判別ができないんだ!」と言う。
言い訳なんてどうでもいいわけです。これから言わなければ。自分の行いを反省できれば。
「差別」という単語をみて同僚がすぐに
「もし子どもが亮太に言ったらチャパ(体罰)するから安心しろ!!」と同僚。
いや、、、そうじゃないって。
 
僕「しなくていいよ。考えてみて。あなたがアジア人でこどもがタンザニア人だとする。もし殴ったらそのまま喧嘩になる。そしてお互いの国が嫌いになる。効果ないよ。きっと互いに互いの国が嫌いになる。結局結果はよくない。」
 
そして、もう一つ。
 
「逆を考えてみてほしい。日本語のわからないあなたが、日本にきたとする。そこで多くの日本人があなたに黒人に対する差別用語を浴びせたらどう思う?そしてその時の言い訳が
【知らなかった。】それで済む??」
 
 
僕は同僚のことみんなを友達だと思ってるし、タンザニア人が比較的好きです。

だからどうか、レイシストと思われるような行動を取らないでほしい。

タンザニアが嫌いだ!!と、思わせるような行動を取らないでほしい。頼む。

 
と、プレゼンの最後に書いて僕のプレゼンは終わりました。
 
 
プレゼンが終わった後
「すまない。怒らないでくれ。タンザニア人を嫌いにならないでくれ。許してやってくれ。亮太はおれの友達だ。だから日本人はおれの友達だ。」と。
 
そして「子どもたちにも教えよう!手伝う!!」と言ってくれる同僚まで。
すごく嬉しかった。頼めば基本なんでも(遅れるけど)手伝ってくれるタンザニア人。
それでも、自ら進んで仕事を増やすようなことは非常に稀です。
 
1年経ってようやく動いた僕ですが、1年経ったからできたことかもしれません。
正直自分が言われてもどうでもよかった。無視してればそれでやり過ごせる。
腹をたてる労力が勿体無い。言わない人もいるしいう人もいる。そういうもんだ。そう思ってました。
 
 
でも今回、気まぐれながらもプレゼンして本当によかったと思ってます。
少しは考えるきっかけに繋がったかな??
自分がJOCVとしてここに来たことに、少しずつ意味が出て来たような気がしました。