きりまんじゃーろでうありむ。

2018年1月〜2020年1月、青年海外協力隊でタンザニアへ。キリマンジャロ山の麓街であるモシ市で、小学校の先生として派遣されます。

日本に連れてって??

 

「りょうたは2年経ったら、日本帰っちゃうんでしょ?

そしたら、帰るとき私も連れてってよ!!」

 

きっと、協力隊あるあるのこの言葉。

正直にいうと「またか、、、」という感じです。毎度毎度のことなのです。

 

この回答は隊員によって様々。(だと思います。)

みんながどのように返しているのか気になるところでもあります。

(隊員のみなさん教えてください!)

 

ぼくの場合は現実を伝えています。

 

飛行機代をぼくが出したとして、生活はどうするの?と。

しかし、彼らは言います。

スワヒリ語の先生するから平気〜!」と。

いやいや、ちょっと待て。

どうやってその求人を探すの?

その求人があると、なぜ信じて疑わないの?

スワヒリ語での仕事の数は多くはないと思うよ?

日本についてその日からの生活はどうするの?

家もないし、知らない土地だし(タンザニア人の多くは地図が読めません)、

貯金があるとして、タンザニアに帰った後はどうするの?

もし東京で暮らすとなったら「〇〇円くらいかかるよ?◇◇タンザニアシリングくらいかな?

 

と、現実を突きつけています。

残酷なことをしているようにも感じる方もいると思います。

 

でも当然意地悪をしてるつもりは微塵もありません。

ぼくはただもっと考えて欲しいんです。

本当に日本に行きたいと思っているなら

本当に日本で仕事したいと思っているなら

目標を立てて計画を立てて実行してほしいんです。

今のままでは、何年経っても不可能です。

どうせやりたいことがあるなら、一生懸命になってほしい。

これは間違いなくぼくのエゴです。わかっています。

でも少なくとも選択肢を考えてほしいんです。

「今のままでは無理だ。けど、〇〇すれば行けるかも?」

と、目標を立ててほしいんです。

「どうせ無理だー。りょうたが連れてってくれないかなー。」

と待っているだけではなくて、自ら動いてほしい。

自分の口で言ってしまった以上それで終わりにして欲しくない。

 

↑は同僚とのやりとり。

もちろん子ども達にも言われます。

子どもたちには、「どうやったら自分の力で行けると思う?」

と、いつも質問を投げています。

黙ってしまう子が多いです。

でも時々「ヨーロッパの大学に行く人もいるよね?日本にも行ける?」

と、答える子がいます。

もちろん行けるよ。俺の友達はタンザニア人だけど日本の大学に通ってるよ。

「そもそもどうすれば、その大学に行けると思う?」

 

ぼくがこのような質問をすることが、正しいことなのかわかりません。

誘導尋問のようなものをしてしまっているのかもしれません。

まだ思考力の乏しい子どもですから、ぼくの言葉を信じ、

図らずとも敷いたレールの上を進ませてしまうかもしれません。

 

ただ目を輝かせながら、知っている限りの日本のこと(ほとんどがゲーム)を

ぼくに話してくる質問してくるそのエネルギーを無駄にしたくはありません。

この好奇心を生きるエネルギーに変換してほしい。

生きるための原動力にしてほしい。

 

文字で、写真で、音で、聞いた話だけで満足せずに、

実際に見に行ってほしい。例えそれが日本じゃなくとも。

 

発展している、豊かな国=幸せに決まっている。

と、もしかしたら彼らは考えているのかもしれません。

だから、日本に行きたがるのかもしれません。

 

でも、発展しているからといって人が幸せなわけじゃない。

何にもないのにいつも笑顔で、いつも楽しそうにしている、

 

君たちタンザニア人の方が、俺たち日本人よりも

よっぽど幸せそうに、

よっぽど楽しそうに毎日を生きてるよ。

っとぼくはいつも思っています。

っとぼくには見えています。

 

数年後、数十年後ここで教えた生徒と日本で会うことができたら、

本当に嬉しいこと何だろうな、と妄想しながら活動していたら

タンザニアに来てから10ヶ月目に入ってしまいました。

ラマダンと熱中症

今回は大分スパンが短いですね。

そうです、リキゾ(休暇)故に時間があるのです。

 

さて、今日はラマダンと熱中症のお話。

ムスリムの多い国に派遣された、派遣される方の中には、ラマダンに挑戦する人もいると思います。

 

痩せられるチャンス!

腸内環境を整えるいいチャンス!

などと思っている方はやめてください。

辛い思いをして、健康悪化させる必要なんて微塵もありません。

ファスティングやダイエット、栄養学について詳しく書くつもりはありません。)

 

栄養水分ともに不足してしまうラマダン。

地域によっては高温な場所もあることでしょう。

熱中症を誘発する、この上ない環境ですね。

 

さて、みなさんは熱中症に種類(程度)があることをご存知ですか?

 

軽い順(I度〜Ⅲ度)に列挙してみます。

(※厚生労働省熱中症診療ガイドライン参照)

 

Ⅰ度(熱痙攣熱失神

症状:めまい、立ちくらみ、多量の発汗、筋痙攣(つる、こむら返り)、顔の火照り

→現場のみの対応も可能(冷所にて休み、体温を下げつつ水分ミネラルの補給)

 

Ⅱ度(熱疲労

症状:頭痛、嘔吐、倦怠感、判断力の低下等

医療機関での診断が必要。(Ⅰ度だと思っても改善が見られない場合は医療機関へ迷わず搬送

 

Ⅲ度(熱射病)

症状:

意識障害、痙攣発作、 ②肝、腎機能障害(臓器障害)③高熱

ただちに緊急搬送。発見次第体温を下げることに努める。

 

Ⅰ度でもⅡ度でもⅢ度でも、体温を下げることがキーとなります。

一歩遅れると、脳や臓器にダメージが残ってしまいます。

 

脈が取れる場所、すなわち頸動脈、脇、鼠蹊部、踝を冷やせと教わってきたと思います。

 

しかし、それでは不十分です。

というより、それでは体温の低下をあまりのぞめないことが分かっています。

 

そして、我々は途上国にいるわけですが近くにコンビニもなく冷蔵庫を持っていない家庭も多いですよね。

そもそも氷の調達すら困難です。

 

もし環境が整っているならば、

氷水に浸からせましょう。

 

氷がなくとも、少なくとも水に浸からせた方が良いです。

 

浸からせる容器がない場合。

(このシチュエーションがほとんどだと思いますが。)

水をかけて、とにかく仰いでください。

気化熱を利用しましょう。

脇等にペットボトルを挟むよりも効率よく体温を下げることが可能となります。

 

 

症状や処置を知らなければ、簡単に命を落としてしまいます。

日本でも毎年死者が出ているのにも関わらず、知識を有していない指導者や教育者が非常に多いのが現状。

 

ラマダンを行う地域だけでなく、

スポーツ隊員や学校隊員は当然ですが、全協力隊員が今一度熱中症について学ぶ機会となれば幸いです。

 

 

健康あってこその活動です。

 

え?ラマダンについて書かないの?

と、思ったあなた。正しいです!

が、書きません。あしからず。

 

 

 

 

 

目には目を、歯には歯を。

タンザニアの学校では前期が終了し、国家試験のある学年を除いて長期休みに入りました。(と、思われます。)

 

今回はいじめについてです。

(そういえば、いじめは先進国の方が多いのかな?どうなんだろう?データがあったとしても信憑性に欠けるような気がします。→途上国のデータがね。)

 

ここでのいじめは、

日本のように長く続くものは、

すくないかもしれません。

どちらかというと突発的なもの。

急に仲間はずれにしたり、

何かの拍子に集団で殴ったり蹴ったり。

今回は後者の例でした。

 

 

先日、ある子どもの母親が鬼の形相で学校に訪れてきました。

「息子が複数人に殴られた。」、と。

 

目には目を、歯には歯を。

有名なハンブラビ法典ですね。

償いには同じことをしなさい。

償いには対価を払わせ、

それ以上はしてはいけない。

という、内容だったでしょうか?

 

日本で言い換えれば、

「自分がやられて嫌なことは、してはいけません。」ですかね。

これと同様の効果がありそうですね。

 

ここタンザニアでは、

罪以上のことを払わせるようです。

それこそ、目をつぶりたくなるほどに

 

複数の教師が順々に母親とその子どもの目の前で執拗にチャパをします。

 

当然、子どもたちは泣き叫びます。

まさに悲鳴です。

僕が「イナトシャ!(十分だよ。)」

と言っても、構わず続けてました。

 

一通りの罰が終わると、

「彼らは悪いことをした。が必要だ。これくらい痛みを与えれば、もう絶対にしない。」と、副校長。

 

すかさず「彼らがまたしてしまったら?」と聞いてみます。

すると、「またチャパすればいい。

 

イタチごっこやん。

 

 

「日本でもこれくらいの罰があれば

犯罪やいじめの抑制になるはずだ!」

こう思った人もきっといますよね?

 

どうでしょうか。答えはわかりません。

だから犯罪もいじめも絶えません。

ただ、もしそんな世界になったら

極刑、即ち死刑以上の刑が必要です。

死刑以上の刑。一体なんでしょう?

ファラリスの雄牛とかでしょうか。

ただそれでは、我々は退化してしまう。

また歴史を繰り返してしまう。

 

 

自分が嫌なことは相手にしない。

という概念を植え付けるか

 

針千本を飲ませて調教するか。

 

はたまた第3の方法を生み出すのか。

 

日本だったらきっと、学級の問題として取り上げられるでしょう。

個人の問題として、ではなく

一つの集団として友達として

みんなで協力して解決しよう!

素晴らしいことです!!

さすが我が国日本です。

 

 

なんて、僕は一概に言えません。

別々の価値観を持つことを許された

この世の中で、その話合いを誰が取りまとめるのでしょうか?

誰が結論を出すのでしょうか?

結論は出さず、考えることが大切ですか?それで十分なのですか?

それをして誰かが満足するのですか?

 

 

それとも、全責任を教師に委ねますか?

教師ってそんなに万能ですか?

 

 

教師を貶しているわけではありません。

むしろかばっているのです。

大人にだって、教師にだって

 

誰にとっても難しい話です。

誰かが責任を取ってやめ、

何も解決せずに終えようとする、

そんなことに比べたら、

執拗なチャパの方が僕はいいと思う。

ルールがあれば。上限があれば。

感情に左右されなければ。

 

 

ただ、僕が言いたいのは、

仲良しこよしの綺麗事だけではない。

 

みなさんはどう思いますか?

いじめだけではありません。

どうやって正解不正解を教えますか?

間違いを犯した際、

どうやってそれを教えますか?

 

針千本飲ませますか?