本格的に授業を開始してから2週間。
当時は5年生の算数と英語のTTだけの予定が、3、4、6年の体育も追加され、7年の国家試験対策の解説作成(先生用)にも取り組んでいます。
リキゾ(休暇)明けに突然
CP「レオタ!今から授業だよ!」
僕「5年だよね?英語は次じゃね?」
CP「違うよ!算数!おまえが教えるんだよ」
僕「まじ?え?まあいいわ。やるは!でも今日は準備してないから手伝ってや!!」
CP「ハイナシダ(no problem)」
と、始まった僕の活動。
少しづつではありますが、授業にも慣れてきました。というより児童が僕のリズム、授業スタイルに慣れ始めてくれています。
こっちの子は空気よまないな〜。
先生に怒られている子どもの隣で、
他の児童が同じことを平気でしています。
順番も守りませんし、我こそは!!という感じです。
そこで、空気を読めるようになるために、
「おれは怒らないし、チャパはしない。だけど、聞く準備ができるまで、おれは何も教えない。自分らでうるさいことをやめるまで、おれは教えない。」
と、伝えています。
それまで、ひたすらに黙って見ています。
また体育では、
日本のようなきれいな10列を作ることに慣れていません。先頭の10人を指定しても、気付いたら先頭が15人。嘘ついてどんどん前に出てきます。
我こそは、ですからね。
最初から列について教えても、難しい。
だから、
「おれは選ばない。10人を自分らで選びなさい。次の10人が君たちを待ってるという事を忘れないで。」と伝えています。
『譲り合い』が必要ということを自分で感じてほしいと思ったからです。
そして、いずれ勝手に自ら10人を選び、
その後ろにまた10人、また10人。
と、列を作るシステムを
児童自身で完成させることが最終的な目標です。
この2つのことを伝えてから、
子ども同士で注意する機会が増え、順番を守る子や次でいいや!と譲る子が増えました。
嬉しい限りですね。
でも、
「このルールってだれのため?」
これ俺が授業をやりやすくするために、
操作してるだけなんじゃないかな??
空気が読めないって、人の顔色伺わないってことだし、順番守らないのは意欲が溢れ出てるってことなのかもしれないし。
これらを矯正して抑制することは、
はたしていいことなのかどうなのか。
僕は小学生を相手にしています。
僕ら教育者の影響は大きいです。
ましてや外国人ともなるとなおさら大きいです。
小学生の時2年間、ALTを除く外国人に教わったことがありますか?(日本で許されてるのかな?)
周りにそんな経験をした人がいますか??
僕らがやっていることは、それくらい稀なことです。
彼らの未来を狭める要因になっていないか。
彼らの世界を広げる役目になれているか。
目先に活動ばかりに目をとらわれてはいけませんね。
反省です。