体罰って何故いけないのでしょうか??
・痛いからだめ?
・心に傷を与えるからだめ?
・服従心や恐怖心を煽るからだめ?
・萎縮してしまうからだめ?
・エスカレートしていくからだめ?
・内発的動機を削ぐからだめ?
タンザニアにおける体罰のことを、ここでは「チャパ」と記します。
「体罰」と聞くと日本での出来事をイメージし、
偏見が伴う可能性があるからです。
少しでもフレッシュな状態で考えてもらいたいのです。
タンザニアにいると、毎日チャパを目撃します。
ただ、それには若干のルールがあるように思えるのです。
チャパには「木の棒」を使用し、指先もしくはお尻めがけて
文字通り振りかぶります。回数は3回。
本赴任して2週間が経ちましたが、
上記から外れたチャパを一度も見ていません。
タンザニアの教師は教育実習生を含めて、
このチャパ棒を持ち歩いています。
職員室には常に何本かのチャパ棒が転がっています。
安心してください。当然僕は持っていません。
すると、こんな質問が飛んでくるのです。
A「なぜチャパ棒持たないんだ?」
僕「俺は持たないし、絶対チャパしない。」
B「まじ?なんで?日本人はみんなそうか?」
僕「いや。昔は多くの先生が体罰してたよ。
でも、今はしてはいけない。それが普通なんだ。
今でも体罰してる先生はいる。でも見つかったら罰せられる。
職を失う。体罰したいと思ってる人もいると思うけど、
今の日本はできない環境にあるんだよ。」
A「おいおい待て待て。じゃあどうやって指導するんだ?」
B「その場で指導しないんじゃないか?」
僕「いや。その場で言葉で指導する。」
A「子どもはそれでわかるのか?」
僕「いや、時間がかかることが多いな。
例え”ごめんなさい"と言ってもわかってないこともよくある。
だから分かるまで複数回指導(説得)する。」
A/B「時間がかかる指導なんて意味ないだろ!
その場で正すことが指導ってもんだ!」
僕「ん?じゃあタンザニア人は他のことと関連して叱ることはないのか?
例えば,遅刻した児童に対して"だから成績が悪いんだ。"って。」
A「ないな。遅刻は遅刻でチャパ。成績は成績でチャパ。
悪いことにはそれぞれ罰がある。そうだろ?」
B「だな。"その場で"ってのが大事だ。チャパが一番効く。」
僕ら日本人が考えている体罰問題とは少し違うようですね。
「鉄は熱いうちに打て」ということでしょうか。
「時間」に重きを置いた時、確かに体罰は有効な手段なのかもしれません。
恐怖心を煽り萎縮させることで、その後の行動は変わるでしょう。
現在の世界(先進国)の常識が、「体罰=悪」となっているだけで
この世界(タンザニア)では常識ではないのです。
(一応大統領は、チャパ禁止としています。)
常識や正義、価値などの基準は、時代・文化・場所によって揺れ動きます。
逆にここの人たちからすれば、僕が常識知らず、異端児なのです。
僕はここの常識を変えるつもりはありません。
と言うより、変えることは”できません”。
おいおい、お前は日本人だろ。教育者だろ。と、思ったあなたに質問です。
「問題行動を起こした児童生徒に対して、”いけないこと”認識させ”もう、しばらくはしない”と思わせるための、万人に通用する指導方法を教えてください。」
僕に対してではなく、ここの現地の人が納得する説明をしてください。
バカにしているわけではありませんが、
研究や論文で…より文化的だから…に類するものは通用しません。
「だってチャパすれば、わかるじゃん。そう言うものじゃん」と言う考えです。
「寄せ箸」「迷い箸」…何故マナー違反なのでしょうか?
答えにくいですよね。我々が日本人だから、と言うのが答えでしょうか。
マナーが悪いと感じるのは世界中で私たちくらいでしょう。
これを踏まえてもう一度考えて見てください。
相手の常識に訴えることって本当に難しいのです。
ここにいると、僕の普通は普通ではありません。
洗濯物(当然手洗い)を干す時、早く乾くようにと絞ると「なんで?」と聞かれます。
僕の隣人はビチョビチョのまま干すのです。
今までの当たり前の行いを、考えを改めて考え直す機会をもらっています。
同じことの繰り返し単調な毎日ですが。
その中でも毎日が何かしらの発見があります。
今の所、まだ新鮮です。少しずつタンザニアに染まっています。
僕はタンザニア人が基本的には好きです。優しいし、よく笑うし。
同じこと聞くし、話が長いし、面倒臭いところもあるけどね。
彼らのお陰で僕は、日本の良さ・悪さ・見習うべき点を感じることができます。
外を知るって、世界を広げることって、大切なことです。
少しずるいですが、最後に補足させてください。
チャパを受けると泣き出す子どもも当然います。
そんな子に「大丈夫?」と聞くと、「うん!平気!!だって悪いことしたもん。」
と返ってきます。そして、心の心配ですが彼らはチャパされた後に
何事もなかったかのような満面の笑みを見せるのです。
やり返そうとする子どもどころか、チャパされて怒る子どもすらいません。
慣れなのでしょうか。考え方の違いなのでしょうか。
このチャパが当たり前の環境に置かれていると、
チャパから抜け出すことは難しいかもしれませんね。
僕は、何があってもチャパしませんが。意地でです。
(幸い僕の任地には、感情任せに理不尽にチャパする教師はいません。他の学校にはいるかもしれませんが)