きりまんじゃーろでうありむ。

2018年1月〜2020年1月、青年海外協力隊でタンザニアへ。キリマンジャロ山の麓街であるモシ市で、小学校の先生として派遣されます。

タンザニアの教育現状

MOTTAINAI
 
 
 タンザニア人は、すごく明るく本当に良く笑います。
よく話けけてくるくせに、実はシャイで可愛い部分もあるのです。
そして、優しい人がすごく多い。
「へい!マイフレンド!これ買ってけよ!安いよ!友達じゃんか〜!」
っと居酒屋のキャッチばりの客寄せをしてくる人に
「〇〇行きたい!連れてって!!」と無茶振りをすると
「OK!! こっちだよー!」と本当に連れてってくレルのです。
そしてなんの見返りも求めずに「またね〜」と去っていく。
商売っ気があるんだかないんだか、、、笑
(あ、もちろん、ぼろうとしますよ?)
 
さて、こんな国民性をもつタンザニア人ですが、
学校では・教室ではどのように過ごしているのでしょうか?!
 

 

 
実はタンザニア人、教室の中ではべらぼうに静かです。
少なくとも僕の任地では、、
児童は基本的に静かに机に向かっています。
教師が質問をすると、多くの児童が手を挙げます。
(答えることではなく、手を挙げたいだけの子もいるけど)
教師が板書すると、それを一生懸命に写します。
教科書を持っている児童なんてほとんどいないですからね。
 
しかし、これがちゃんと授業を受けているかというと、そうではありません。
(あくまでも日本の基準で言えばですが、)
99%の児童はほとんど何も考えずに机に座り手を動かす作業をしているだけです。
理解しているとは、理解しようとしているとは決して言えたもんではありません。
少し考えれば間違えていると分かるものも平気でスルー。
自分が何故間違えたのかなんて興味すらありません。
「ここ違うよ。やり直し。」というと、「じゃあ答え何?」と聞いてきます。
早くに正解をした人のノートを写し、自分も丸つけをはやくしてもらいたいのです。
 
授業に積極的ではないので、「勉強好き?なんの教科が好き?」と聞くと
「大好き!!どの教科も全部好きだよ!!」と返ってきます。
え????正直本当に驚きました、、笑
どうやら、日本の勉強とは少し異なるようです。
もしかしたら「好き」の概念も異なるのかもしれませんね。
「好き」や「楽しい」は万国共通だと勝手に思っていたので、
なんだか考えさせられました。
 
そもそも、授業の流れはどんなものかと言うと、、
①教師が教科書を読む
②一部復唱させる。
③読んだ部分を板書する。
④板書を復唱する。
⑤教師退室する。
 
授業が終わるとこんな会話が繰り広げられます。
 
教「俺の授業最高だっただろ?」
僕「全員間違ってる問題あったで」
教「またか!あいつら本当に問題あるよな〜俺はちゃんと教えたんだよ」
(あんたがしっかり間違いを教えたから全員間違ってるんだよ、、むしろ生徒を褒めるべきだよ。)
 
実は、ここまでは別に大したことではありません。
なんとなくわかっていたことです。
僕が今回話したいことはここからです。
 
 
僕がここへきて最もがっくししたことです。
それがこちらの写真です。

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お分かりでしょうか?
大量のノートが捨てられているのです。
前述した通り、板書をノートに写す行為はただの作業なのでしょう。
理由はわかりませんが、児童はノートをよく破いたり裂いたりするのです。
 
 
学ぶ姿勢を変えろとは言いません。
ただ、ものを大切にしてほしいのです。

 

また、児童はよく「ノートがない」とよく言うのです。
すごい矛盾を感じてしまいます。
 
 
直接的に教えることは難しいかもしれません。
これが普通だから、いきなり「大切にしろ!」と言っても伝わりにくい。
だから、ノートを学びの財産だと思うことで、見返す価値を見いだすことで
間接的にノートを、ものを大切にする心を伝えたい。
ノートとっておいてよかった。そう思えるノート作りをしたいです。
 
そんなことを胸に2年間活動していけたらなと思います。